やらないという選択肢を認める

 

 

昨日書いたブログ

完璧な自分を目指す!ではない

 

で、書いた通り

無意識に私は完璧な自分を目指していた。

 

無意識に努力することは正しくて

できないことはできるようにならねばならないと思っていた

 

人にお願いするにも

できることをお願いしていた。

つまり自分でやってみて、方向性を導いてからここまでやってほしいとお願いをしていた

 

そして、何よりも人は努力すればなんでもできるようになるって信じている

 

だから、根性論とかちょっとバカにしているけど

大好きだ

人ができないところから這い上がる物語も大好き

 

だから私ももっともっとできるようになりたかったし

できるようになるために努力するべきだと思っていたし

努力もした

そして、貪欲に努力するべきだと思っていた

 

「チャンスの神様は前髪しかない」という言葉を信じ、

もっともっと努力をしないといけないし

チャンスを待ってないで、自分で捕まえに行かないといけないと思っていた

 

そんな人生もいいと思う

 

でも、私はもうそんな人生は手放します。

手放すことにした。

 

やらないという選択肢を認めることにした

 

やるやるやる、なんでもトライという人生から

もう降りることに決めた。

 

もしかしたら、そんな人生はつまらない

かもしれない

 

でもよく考えて

全てをできるようになることができないように

全てをやることもできない

 

なんのために世の中にこんなにたくさんの人がいるのだろうか

なんのためにこんなにテクノロジーは進歩してきたのだろうか

 

そして人が持つ時間は平等に24時間だ

その時間をかけて何をしたいか

何ができるのか

 

 

そして、

自堕落と言われる生活

自由だと言われる生活

生産性がないと思われている生活

をしたらどうなるんだろう

 

 

支離滅裂だが、ひとまず

やらないという選択肢を認めることにした。

次に、いかに今の生産性のない私の本来したかった生活を認めるか。

それを考える。

2019-05-14 | Posted in 思ったこと, 気づきNo Comments » 

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